『田中角栄のふろしき 首相秘書官の証言』

「角栄」の生きざま、「線虫」に注ぐ人生

2019年11月号 連載 [BOOK Review]
by 広津崇亮(HIROTSUバイオサイエンス代表)

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『田中角栄のふろしき 首相秘書官の証言』

田中角栄のふろしき 首相秘書官の証言

著者/前野雅弥
出版社/日本経済新聞出版社(本体1600円+税)

2年半――。田中角栄の総理在任期間である。このわずかな期間にこれだけの足跡を残した政治家は他にいるだろうか。驚きを禁じ得ない。

1972年7月7日。内閣支持率60%の期待を背負って総理に就任した田中角栄。私事で恐縮だが、私はこの72年に生まれた。母親がその時の民衆の熱狂ぶりを教えてくれたぐらいで、私自身は角栄の全盛期は知らない。「豪放磊落」「ポピュリスト」「今太閤」。そして総理辞任の引き金となった「金権政治」――。私の角栄の印象といえばこんなところだ。

だが、よくよく考えてみて欲しい。田中角栄という人物が「大政治家」であるか「巨悪」であるかは別として、こんな単純な言葉で言い尽くせる程度の人物が、果たして一国の総理となり、後世に語り継がれる実績、あるいは足跡を残せるだろうか。

引き合いに出すのは大変失礼ではあるが、私が東大時代から20年以上の歳月をかけ、人生を注ぎ込んできた「線虫」でさえ、複雑怪奇である。たった体長1ミリの小さな体にセンシング機能を詰め込んでAI(人工知能)をはるかにしのぐ精度で、癌の匂いをかぎ分ける。私は線虫という生物の神秘の一端を明かし、その成果が国際科学誌に掲載されたが、的中率90%近く、しかもごく初期の段階でピタリと癌の芽を見つけ出してしまうのだから生物というのは不思議だ。

もちろん線虫と比較するのは田中角栄氏に申し訳ないが、実はこれまでの角栄論では全容が十分明らかになってはいないのではないか。これだけ人々の記憶に刻み込まれながら、彼の人間的な魅力や凄み、国際的な視野の広さは十分に理解されてこなかった感が強い。

本書はそんな疑問に答え、新たな角栄の一面をあぶりだそうとした意欲作である。首相秘書官として側にいた小長啓一氏の証言をもとに客観的事実を示しながら、角栄の本質を探り当てることに挑戦しており資料的価値も高い。朝2時に起きて資料を読み込む努力家の一面や「エネルギー政策」の裏舞台のやり取りも含めて紹介した納得感のある一冊だ。

最後に総理就任時の角栄の言葉を紹介する。

「最も支持が強い時に、最も難しい問題をやる。俺にはやらなければならないことがある」

政治家として角栄が特筆に値するのは庶民の心を知り、庶民のために国を建てようとしたことだ。私も今、医療の分野からそれを目指す。線虫の力を借り、できるだけ安くできるだけ早期に癌を見つけ出し、国民の健康向上に力を尽くす。角栄の生きざまに自分の今を重ね合わせ、力をもらった一冊だった。

(敬称略)

著者プロフィール

広津崇亮

HIROTSUバイオサイエンス代表

   

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