病める世相の心療内科⑭不登校の子供を救う学校

2018年3月号 LIFE
by 遠山高史(精神科医)

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不登校の子供がたくさんやってくる。小学生から高校生まで、その数は夥しく、引き籠もりになる率も高い。いじめが引き金になったとか、何らかの発達障害あるいは精神の病の兆しがみられるとか、個々のケースを説明することは容易だが、昨今、かくも不登校が多い理由を教育現場の大人たちが認識できていないような気がする。子供らは学校という場から「圧力」のようなものを感じているのではないか。個性を尊重すると言いながら、実際は均一さを求められ、圧力に苦しんでいるのではないか。思うに生い立ちや経済力、家族構成、知的能力などが異なる個体を「年齢が同じ」というだけで集めたために、個々の違いがより強調されやすくなっているのである。

オリンピックも同じことだが、一斉に並べて競争をさせる受験のシステムは、平等に機会を与えていると言いつつ、勝ち組と負け組を振り分ける仕組みに他ならない。私はその仕組みが悪いと言いたいのではない。厳密なルール重視の契約社会では、スタートラインを一律にして競わせることで差別化するしかなく、優秀とされる人材を拾い出すのに便利である。とはいえ、それを平等な仕組みと言い張ることに違和感を覚える。むしろ、「差別化のため」とはっきり認めたほうがすっきりするのではないか。

均一に見えたものでも、ダイナミックにエネルギーが流れ込む場におくと、個々のわずかな違いによって相の違いが出現することは、物理学の常識であるが、人間の集団においてもその現象が起きる。不登校の子供らは、そのことを肌で感じているのである。 

私は以前、ほとんど無試験で入れる大学の非常勤講師であった。そこには、中学や高校で不登校となった若者がかなりの率で含まれていた。クラスには社会人枠があり、失業した中年男、働かない夫に代わり仕事せねばならない主婦、キャバクラで働くシングルマザーなど資格を得るために来ている者も混じっていた。特段働きかけはしていないのに出席率がすこぶる良く、特に高校まで不登校で落ちこぼれていた若者たちの出席率の高さには驚かされたものである。失敗したが故の人生の知恵も学べ、内気な娘はシングルマザーから男との付き合い方を学ぶ。なかには落ちこぼれの若者から励まされている元気のない大人もいた。さまざまな能力や人生経験の持ち主が集まってはいるが、年齢性別を超越して自分の個性を発揮できる不思議な場となっていた。それは、一つのコミュニティというべき場であった。

昨今の日本社会に最も欠けているのは、かくもリアルに人が関係するコミュニティではないかと私は思っている。ファミリーという関係性が希薄化し、外に買い物に出かける必要もないようなネットによる離散的生活を推し進めたせいであろう。それは子供たちのコミュニティ体験を欠乏させ、他者と協調できる柔軟性を培う機会を奪っている。

不登校の子供たちはみな孤独を訴え、むしろ人と安心して交われる場を求めてもいる。さまざまな個性で構成されるコミュニティは、それぞれの居場所を保証する。それは引き籠もれる自分の部屋よりはるかに豊かな場所である。全学年が一クラスにいる僻地の分校や、年齢に幅のある夜間の学校、孤児たちの収容施設のほうが私は懐かしさを感じる。教育現場に不足しているのは、このあたりのセンスではなかろうか。

著者プロフィール

遠山高史

精神科医

   

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