「関西みらい」旧大和に押し付け

三井住友がりそなにポイ。りそな内の旧あさひ勢力も近寄らない「超地域銀行」とは。

2017年12月号 BUSINESS

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りそなホールディングスの東和浩社長や三井住友フィナンシャルグループの中島達常務執行役員らと手を合わせる、関西の地銀3行のトップたち

Photo:Jiji Press

りそなホールディングス(HD)傘下の近畿大阪銀行と、三井住友フィナンシャルグループ(FG)傘下の関西アーバン銀行、そして、みなと銀行。関西を地盤とする三つの地方銀行が来年4月に経営統合する。その前裁きとして中間持ち株会社の関西みらいFGが今月誕生、3行は順次傘下に入る。

地銀はゼロ金利政策の継続で利ザヤが縮小、おまけに人口減少で融資や手数料収入の増加が見込めず、お先真っ暗の状態。それを傘下に持つことは、メガバンクにとってリスク以外の何物でもない。関西みらいFGへの出資比率は、りそなHDが51%なのに対し、三井住友FGは最大で約26%。三井住友FGがりそなHDにお荷物を押し付けた格好で、りそなHD内部からは「國部さん(毅・三井住友FG社長グループCEO)にしてやられた」と恨み節が聞こえる。

懐かしの「FH2О」

もっとも、りそなHDは三井住友FGの地銀切り離し作戦を呑まざるを得なかった事情がある。地銀広域連携の「スーパーリージョナルバンク」は、りそなの一角、旧大和銀行が2000年代に唱えていた構想だからだ。

その頃、都銀で唯一関西地区を拠点に据えた大和銀は、これら地銀に公的資金で不良債権を処理させたうえで傘下に収め、関西圏に地盤とするスーパーリージョナルバンクを築くとぶち上げた。関西みらいFGは結果的にとはいえ、その構想を具現した金融グループだから、同グループがりそな傘下に入ることは、「当然の成り行き」(三井住友銀関係者)でもある。

実際、関西みらいFGに加わる地銀の源流はいずれも「危ない銀行」で、地銀なのに、その名が全国にとどろいてしまった金融機関ばかり。縁を紐解くと、旧近畿銀行と旧大阪銀行が合併、そこに旧なにわ銀行と旧福徳銀行が加わったのが近畿大阪銀行。関西アーバン銀行の源流は旧関西銀行、旧幸福銀行、旧びわこ銀行だ。みなと銀行は戦後初の経営破綻銀行、旧兵庫銀行と旧阪神銀行が合併して誕生した。

約20年前「FH2O」という言葉がはやった。危ない地銀の頭文字を取ったもので、Fは福徳、H2は兵庫と旧阪和銀行(1996年に経営破綻)、Oは大阪。かつてのFH2Oのうち阪和を除くすべての地銀が関西みらいに集結しているのだ。

関西みらいFGは過去も散々だが、前途も怪しい。その一端はすでに表面化している。

統合協議で最後までもめたのが本店所在地だった。りそなHDは大阪市備後町にある同社大阪本社内を、一方、三井住友FGサイドは心斎橋にある関西アーバンの本店をそれぞれ主張。りそな傘下に入るわけだから、備後町に決まりそうなものだが、三井住友出身で関西アーバン頭取の橋本和正が「統合3行の中で規模と収益はウチが一番」と譲らず、平行線を辿った。

結局のところ、りそなの言い分が通ったものの、FG傘下で19年4月に誕生する関西みらい銀行の登記上の本店はりそなHD大阪本社ながら、本社機能は関西アーバンの本店にも置くという。近畿大阪と関西アーバンは大阪府内40カ所で店舗が近接し、これを統廃合する予定だが、対象となる店舗の選定は進まず、ATMの相互開放も決まらない。主導権争いはしばらく続きそうで、統合効果を求めるどころではないのが実態だ。

「吹き溜まり」から隙間風

不協和音はそれだけではない。9月下旬に開かれた経営統合に関する記者会見に出席したみなと銀頭取で、旧太陽神戸銀行出身の服部博明は「(関西アーバンが強みとする)不動産、(りそなが持つ)信託機能を教えてもらいたい」と殊勝に語ったものの、関西みらい銀行には加わらない。関西みらいFGに関西みらい銀行とみなと銀行がぶら下がる形。「みなとは形式的には関西みらいに加わるが、勝手にやらせてもらうと言っているようなもの」(りそな幹部)なのである。

決して交わろうとしない関西みらいFG傘下の3行。さらにここにきて親会社りそなも、この再編を機に軋み始めている。

03年に約2兆円の公的資金が投入され、実質国有化されたりそなHDのトップに、東日本旅客鉄道元副社長の細谷英二が就いた。東日本キヨスク社長就任が内定していたが、前年、経済同友会副幹事となったことで近しい存在となったウシオ電機会長の牛尾治朗からの要請で、火中の栗を拾いに行った。

細谷はその後、りそなの立て直しに成功。しかし09年にはりそな会長の代表権を、12年にはHDの代表権も返上した。引き際もきれいだったことから、「りそな中興の祖」と呼ばれた。

実際は病魔に襲われて一線を退いたのだが、細谷は病室を訪れたりそな幹部に「次は東のような人かな。その次は菅のような人材が望ましい」と語り、12年11月に没した。当時、りそなHD社長だった檜垣誠司はその「遺言」を守る形で翌年退任、東和浩にバトンを継いだ。

「細谷は大和銀出身の檜垣の後任に旧あさひ銀行出身の東を据え、その後に再び大和銀出身の菅(哲哉)をトップに置くことがりそな融和の近道と考えたのだろう」と関係者は言う。

しかし、檜垣から数えて「次の次」だったはずの菅は、関西みらいFGの初代社長として、アクの強い関西アーバンの橋本と、みなとの服部を御しながら展望の開けない地銀連合を率いるという損な役回りを担わされることになった。

旧大和銀幹部からは「東は後釜だったはずの菅にババを引かせ、次も旧あさひ銀行出身者をりそなHDの社長にしようとしているのではないか」という疑念が浮上している。

「りそな」の由来はラテン語の resonaからきている。「共鳴せよ」「響きわたれ」といった意味を持ち、合併や再編でまず実現することのない融和を目指そうという意思が込められている。しかし誕生した関西みらいFGの融和はほど遠い。その「吹き溜まり地銀連合」の誕生で、りそなにも隙間風が吹き始めるという何とも皮肉な状況になっている。(敬称略)

   

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