台湾「蔡総統」想定し中国威嚇モード

国民党の人気離散と、親中派2候補の食い合いで、8年ぶりに民進党の政権復帰確実だが、中国は敵意あらわ。

2015年9月号 GLOBAL [特別寄稿]
by 柿澤未知(北海道大学公共政策大学院准教授)

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台湾民進党の蔡英文主席

EPA=Jiji

CCTVが包装した軍事演習の一場面

「戦場に立つ準備はできているか?」。ガガガガ……粉塵を巻き上げて走る戦車、掃射される機関銃、そして敵陣大本営に向かって前進していく一人の兵士。その先にあるのは、前面の中央部分が塔状に高く屹立したレンガ色の建物。どこから見ても台湾総統府の「海賊版」だ。

これは、中国中央電視台(CCTV)が7月5日に放送した軍事演習の一場面だ。後に中国のメディアによって、これが台湾進攻作戦の訓練であったことが報じられると、台湾はにわかに騒然となり、台湾国防部は「台湾人の感情を傷つけるもので、受け入れられない」と非難、馬英九総統も「甚だ不愉快である」と不快感を顕わにした。

中国国防部は「定例の軍事演習であり、特定の目標を想定したものではない」と白々しい説明を行ったが、台湾側の反発は織り込み済みであろう。台湾進攻を想定した軍事演習を行って、台湾の人々に心理的圧力を与えるのは、中国の対台湾「三戦」(世論戦、心理戦、法律戦)の常套手段である。問題はなぜいま? という点である。

「ひまわり」後は国民党不人気

台湾に向けた中国の露骨な軍事的威嚇は、10~20年前にはしばしば見られたが、近年は鳴りを潜めていた。それは、2008年に国民党の馬英九氏が台湾の総統に当選し、対中融和路線を歩み始めたためである。過去7年余の間に、中台間ではFTA(自由貿易協定)に相当する「海峡両岸経済協力枠組取決め(ECFA)」をはじめ、様々な実務協力が合意され、台湾を短期訪問する中国人の数は年間延べ24万人から384万人へ、中台間の航空路線も週36便から週840便へと「爆増」した。今年5月にも国民党の朱立倫主席が訪中し、習近平氏と国共トップ会談を行うなど、中台関係は概ね良好な状態を保っている。

しかしながら、一見穏やかな台湾海峡は、その底流から潮目が変わり始めている。来年1月の台湾総統選挙には、与党・国民党の洪秀柱・立法院副院長(国会副議長に相当)のほか、野党の蔡英文・民進党主席、宋楚瑜・親民党主席の3氏が出馬を表明しているが、国民党の苦戦は必至だ。その最大の原因は、馬英九総統の不人気にある。

昨年3月、中国とのサービス貿易取り決めの批准に反対する学生らの抗議活動が、瞬く間に数万人規模に拡大し、立法院(国会)とその周辺道路が約3週間占拠される「ひまわり学生運動」が発生したが、これは馬英九総統と台湾社会との溝の深さを示すものであった。その余熱が残る中で行われた昨年末の地方選挙で国民党は歴史的な大敗を喫し、その後も馬英九総統の支持率は10%台で低迷している(TVBS調べ)。

このような厳しい逆風を前に、国民党の有力政治家は次々に総統選挙不出馬を表明し、唯一手を挙げた洪秀柱氏も、現時点の支持率では蔡英文氏に10~20ポイントの大差をつけられている。国民党と支持者層が重なる宋楚瑜氏の出馬も、洪秀柱氏の苦境を深めることになろう。

中台経済関係の緊密化に反比例するように、台湾の人々の「台湾アイデンティティー」が強まってきていることは、蔡英文氏には心強い要素であろう。台湾政治大学の調べによれば、20年前は台湾住民の6~7割が「自分は中国人」と考えていたが、今日では逆に「自分は中国人ではなく台湾人」とする人が6割以上を占める。若い世代ほど「台湾アイデンティティー」が強く、「台湾独立」を党是に掲げる民進党の方が、「台湾は中国の一部」との立場の国民党より、若者の共感を得やすい。

こう見れば、中国が久々に軍事力を台湾にちらつかせた意図は明らかだろう。中国の軍備増強の一義的な目的は、南シナ海のシーレーン防衛やアメリカとの覇権争いではなく、今も「台湾独立の阻止」にあるのだ。中国は、それを台湾の有権者に思い出させようとしたのである。

観光客激減で締め付けも

蔡英文氏は、中台関係の「現状維持」を図る方針を強調しており、急進的な台湾独立路線を邁進する可能性は低い。また、中国側も軽挙妄動に出ることはないだろう。しかし、これはあくまで短期的な見通しにすぎない。主権・領土に関する中国政府の姿勢は一貫して断固たるものであり、特に近年は強気の姿勢が目立つ。尖閣諸島や南シナ海をめぐる中国の行動からは「相手国が先に仕掛けてきた」という口実を盾に強力な対抗措置をとり、新たな既成事実を作り出すことで、中国側に有利な新たな均衡点に「現状」を変質させていく戦術が透けて見える。もし台湾の次の政権が、台湾独立志向の強い言動を不用意に採ることがあれば、中国側はこれを奇貨とし、中台関係の「現状」を自らに有利なかたちに変質させることを狙って、強硬な対抗措置を採ってくる可能性がある。

武力行使は当面想定しにくいが、中国は非軍事的分野で台湾に圧力をかけてくる可能性がある。一つは台湾の国交国(22カ国)や国際機関参加問題をめぐる「台湾の孤立化」である。第二は、経済制裁的措置であり、例えば中国人観光客が激減するだけで台湾経済にはかなりの打撃があるだろう。第三は、アメリカの台湾向け軍備供与である。馬英九政権の間は中国の反発も抑制的であったが、民進党政権が相手となれば、米中、中台間の大きな摩擦要素となりうる。中国が台湾への圧力を強めるならば、台湾側で反中感情が高まり、関係悪化の負のスパイラルに陥りかねない。

台湾海峡の平和と安定は、日本にとって極めて重要な国益である。とりわけ現在国会審議中の「平和安全法制」関連法案が成立すれば、台湾有事に対する日本の対応に大きな変化が生じる可能性がある。ホルムズ海峡も重要だが、純粋に日本の安全保障という観点から見れば、台湾海峡が持つ重みとは比較にならない。台湾海峡において、日本にとっての「存立危機事態」が決して生じることのないよう、台湾情勢の変化を注意深く見守るとともに、米中台と緊密に意思疎通を図っていく必要があろう。

著者プロフィール
柿澤未知

柿澤未知(かきざわ みち)

北海道大学公共政策大学院准教授

1973年東京都出身。慶応大法学修士。外務省中国・モンゴル第一課台湾班長、在中国大使館政治部書記官等を経て2013年9月から現職。

   

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