憲法を国民の手へ!「松下政経塾草案」が突破口

2015年5月号 LIFE
特別寄稿 : by 小林 節(慶応大学名誉教授)

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改革草案が発表された松下政経塾第34期共同研究フォーラム(3月15日)

今66歳の私は、29歳でアメリカ留学から帰国し、30歳で大学の教壇に立って以来、日本国憲法の改正を主張し続けて来た。

それは、世界で最初の成文憲法を制定したアメリカ、しかもその背景になった独立戦争の土地ボストン郊外(ハーバード大)に留学して初めて「憲法」の真意を理解した私は、不断の努力で憲法を改善していくことこそが主権者国民の特権で責務であると確信したからである。

ところが、私のような改憲論者は昭和50年代の日本では皆無であった。

当時「改憲」を主張する者は、皆、いわゆる「押し付け憲法論」の立場で「わが国が敗戦で主権を奪われていた時に行われた改憲は違法・不当であり、わが民族が自らの意思で制定した唯一の憲法・明治憲法に戻るべきだ」という主張であった。

対する当時の「護憲」派は、「憲法特に9条は最高のもので、それが1字なりとも改正されたら、明日には戦争が始まる。だから、改憲を論じること自体がけしからん」という主張であった。

ところが、私の改憲論は、日本国憲法は良いものであるという前提で、それでも時代は憲法制定者の予測を超えて変化するものだから、その変化に合わせて憲法も改善していくべきだ……というものであったために、上述の改憲派からも護憲派からも受け容れられなかった。

当時の改憲派(彼らを私は「明治憲法愛好家」と呼んだ)にとって、明治憲法より日本国憲法の方が遥かに良いとする私は敵であった。また、当時の護憲派(彼らを私は「憲法9条愛好家」と呼んだ)にとって、私はいわば神聖な憲法に筆を入れようとする以上、憲法の敵であった。

当時は、冷戦の時代で、イデオロギー論争の時代であった。そこでは、論争の前に相手が敵か味方か識別し、味方と認定したら、話し合う前から頷き合っており、逆に敵と認定したら嘘をついてでも相手を罵倒していた。この憲法論議の作法は、冷戦が終結した今日に至ってもほとんど変わっていない。だから私は、このような論争の手法自体にウンザリしていた。

憲法は主権者国民全員のもの

そのような時に、松下政経塾の金子一也研究所長(氏はアメリカ憲法の研究者である)から『松下幸之助が考えた国のかたちⅡ』(松下政経塾編)を贈られ、その中に松下翁の慧眼を発見した。

翁は、憲法は国の定款だとして、その三要件として、人類共通の「普遍性」と日本に相応しい「国民性」と変化する情勢に対応した「時代性」を明記していた。

私は、これこそが、不毛な憲法論議の終着点だと思った。なぜならば、これこそが改憲派と護憲派の立場を包摂するものだからである。しかも、翁は、この点を、イデオロギー論争華やかな昭和30年代から40年代にかけて唱破している。

この驚きを、私は、平成26年度の松下政経塾入塾式後の祝賀パーティーの場での祝辞で語った。それを聞いていた佐野尚見塾長が、即座に、「政経塾のプロジェクトとして、改憲草案を作りましょう」と言って下さって、その日は別れた。

その後、4人の志高き若者が私の前に現れた。恵飛須圭二君(慶大総合政策学部卒)、斎藤勇士アレックス君(同志社大学経済学部卒)、佐野裕太君(東大院総合文化研究科修)、松本彩君(鎌倉女子大家政学部卒)、大学で法律学を専攻した者は一人もいない。しかし、だからこそ良いと私は思った。本来、憲法は主権者国民全員のものであり、特定の専門家のものではない。だから、志の高い教養のある若者4人が、真剣かつ公平に文献を渉猟し、考え、討論した結果として出てくる憲法草案には期待できると私は考えた。

とはいえ、その後の1年間の作業は大変であった。1~2カ月毎に送られて来る膨大な草案草稿を、私が2~3日かけて添削し、送り返し、それを教材にして政経塾で泊まりがけのセミナーを重ねた。

その成果を、彼らは、3月15日に、東京番町のPHP研究所ホールで発表した。

「常識的なものには説得力がある」

その内容は実に「まとも」なものであった。

天賦人権説について、改憲派は西欧からの押しつけだとして反発するが、塾生4人は、それは人間と権力の本質的関係を説明した普遍的なものだと、受け容れた。

新しい人権や外国人の人権についても、世界の常識と言える辺りの提案をしている。

二院制と議院内閣制については、効率が良く、かつ、熟議が保障されるように新しい制度を提案している。

司法制度については、現状を前提に、違憲審査能力を高める提言をしている。

地方自治については、確実に分権が前進するように条文を工夫している。

天皇制については、わが国に固有な歴史的存在をそのまま用い続ける提案をしている。

9条については、独立主権国家として、世界の標準的な制度を提案している。

発表当日は、10社以上のメディアも参加し、少なくとも3社が報道した。

私もその場に同席して、改めて実感したことであるが、やはり、「常識的なものには説得力がある」。また「真理は、両極端の、およそ中間にあるもののようだ」。

安倍内閣の下で、これからも改憲論議は加速されて行くことだろう。

その際に、これまでのように、国民世論があまり関心を示さないところで特定の専門家だけが熱く語っているような議論には発展性はないと思われる。

いずれにせよ、制定後70年近くになる現行憲法がこのままで良いはずがないことだけは誰の目にも明らかである。

それだけに、今回の松下政経塾34期生ヴァージョンの改憲草案が、真の国民的論争の叩き台として、時代を動かす切っ掛けになってくれることを私は願っている。この草案にはそれだけの価値がある。

著者プロフィール
小林 節

小林 節

慶応大学名誉教授

   

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