「福島復興」なくして東電存続の意味はない

石崎 芳行 氏
東京電力福島復興本社代表

2013年5月号 BUSINESS [インタビュー]
インタビュアー 本誌 宮嶋巌

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石崎 芳行

石崎 芳行(いしざき よしゆき)

東京電力福島復興本社代表

1953年東京都生まれ。慶大法学部卒業。77年東電入社。今年1月より現職(兼代表執行役副社長)。福島県双葉郡Jヴィレッジに常駐し、賠償、除染、復興推進を陣頭指揮。母親が会津出身で、地元と縁が深い。

——浜通りに来て3カ月がたちました。

石崎 原子力事故の責任を全うし、福島復興に全社一丸となって取り組むことが、私たちの再生の誓いです。地元に密着し、賠償、除染、復興推進を迅速に実行するため、元旦に復興本社は発足しました。これまでに県内59市町村のうち約50を訪ね、首長さんや仮設住宅の皆さまのお話を伺い、事故のお詫びだけでなく、復興に向けた諸活動に「私たちも参加させてください、何でもやります」とお願いして回りました。各自治体から福島の皆さまのご要望を伺うとともに、今年は延べ10万人(昨年度の実績は約3万人)の当社の役員・社員が復興推進活動に従事する体制を整えているところです。1日当たり280人が地元に入り、復興のお手伝いをします。

——福島に常駐して、何が見えましたか。

石崎 当社と接点のなかった町長さんから「突然、東電から放射能が降ってきた。町の責任で除染をやったが、汚染土壌の仮置き場が決まらない。町も住民も被害者なのにいがみ合って収拾がつかない。その虚しさが、あなたにわかりますか」と静かな口調で言われた時は、胸に堪(こた)えましたね。

津波で家族を失った方は、目の前で長男を流され、直後に手を握っていた次女まで流された。原発事故で避難指示が出たため救助活動ができず、ご遺体が見つかった時、お兄ちゃんが妹の体を抱いていたそうです。「東電のせいで助けに行けなかった」と、面と向かって言われた時は……やりきれませんでした。東京にいると事故の大きさ、広さ、深さ、複雑さがわからない。地域コミュニティーの崩壊、一家離散、子供の健康と将来不安……福島に来なければ、この感覚はわかりませんね。

「福島枠」で新入社員50人

——復興本社の下で避難者の生活再建の礎となる財物賠償が始まりました。

石崎 昨年秋に始まる予定が、登記の記載と実際の所有者が異なるケースが多く、確認作業が遅れていました。何とか3月末までに宅地・建物の賠償手続きを整え、約1万1千世帯に請求書類を送りました。早ければ4月末にもお支払いが始まります。双葉郡など11市町村の避難世帯は5万に上り、不動産所有者の確認が済んだわけではなく、農地や山林、神社仏閣の賠償など課題が山積みですが、「親身・親切な賠償」こそが復興本社の本務であり、お支払いを迅速に進めていきます。

——ネズミによる停電事故で、1F(イチエフ)(福島第一原発)の使用済み核燃料プールの冷却が長時間停止する事態が起きました。

石崎 1Fは本店直轄ですが、記者発表は事故発生から3時間後。福島復興本社として県民の皆さまがどう思われるか、よく考えるべきだった。浜通りの知人から「また避難するのか」と、不安と怒りに満ちたメールが相次ぎました。我々はまた、福島で信頼を失ってしまいました。

——東電は3月28日に発表した原子力事故の総括で「事故の原因を天災として片づけてはならず、人智を尽くした事前の備えによって防ぐべき事故を防げなかった」と反省し、「当時の経営層全体のリスク管理に甘さがあった」と、初めて認めました。

石崎 「自己弁護」ではなく、真摯な総括と反省に基づくものです。新たな原子力安全改革としては、取締役会を補佐する「原子力安全監視室」を新設します。さらに、社会に向けて広くリスクを公表し、立地地域や社会の皆さまと対話していくために社長直属の組織を作り、そこに24人の専門職(リスクコミュニケーター)を登用することも決めました。

東京との意識のズレが心配

——1Fの廃炉作業は半世紀に及ぶ苛酷な道のりです。まるで出口の見えないトンネルのようです。どうやって社員と現場のモチベーションを維持しますか。

石崎 人の世には意味深い数がある。例えば石の上にも「三年」です。比叡山には「千日回峰行」という、夜中に1日40キロの山道を歩き、255カ所を巡礼する荒行があり、1千回の満行を為した行者は生き仏の阿闍梨となる。1千日とは約3年であり、何事もがむしゃらに3年やり抜いたら、必ず一条の光が差してくるものです。

4月1日に事業運営方針の発表で、社長の廣瀬(直己)は「事故から3年目の今年こそが正念場」と申しました。今年はものすごいコストダウンをやり遂げなければ生き残れないという決意の表れです。一番苦しい1年になるけれども、この峠を越えれば一条の光が見えてきます。

例えば来年の春は、2年間ストップしていた新入社員の採用を再開し、福島の学校から50人を採用することになりました。県内の高校の先生から「原発事故は許せないが、事故の責任を果たす東電に対する地元の期待は大きく、それを後押しすることで、古里を復興したいと考える学生もいますよ」と伺って、「福島枠」の創設を決めました。もし、県内の若い人たちにタスキを引き継いでもらえるなら、今後の長き道のりにおいて、これほど心強い援軍はないと思います。また、Jヴィレッジを視察される政府・与党の先生方から「お国のために頑張ってください」と、励ましの言葉をいただき、身の引き締まる思いでした。

——東電を辞める人が後を絶ちません。

石崎 それぞれの人生だから引きとめはしません。新天地で胸を張り、活躍して欲しいと願っています。この先、東電の十字架を背負ってゆくのは苦行に違いありません。しかし、歴史的な大事故を起こしたとはいえ、福島を復興することもまた国家的な大事業であり、危険極まる廃炉作業をやり抜くのは東電社員以外にあり得ない。どんなに給料が減っても、その誇りを胸に大事業を成し遂げたなら、大きなマイナスを克服したプラスの面が評価される日が必ずやってきます。ものは考えようであり、前途を悲観することはありません。

私が一番心配なのは東京と福島の意識のズレです。復興本社を作ったから「後は任せておけ」というのは絶対に許さない。福島を復興させなかったら、東電なんか存在する意味はないんだぞと、皆に言いたい。中には「一体、何をすればいいんだ」という社員もいますが、それがわからなかったら福島に来いよ、復興本社の仕事を手伝ってくれよ、そうすれば気が付くことがたくさんあるから、といつも話しているんです。

   

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