林原に「大甘」地検が立件見送り

20年余の不正経理なのに、「創業家犯罪」追及第2弾は不発に。戦えない検察の現実と嘆息。

2012年1月号 DEEP

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異例の“ギブアップ宣言”はあまりにも唐突だった。

「あれは無理。今更やらないし、やるならもっと早くにやっている」

発言の主は岡山地検次席検事の山下裕之氏。11月下旬、地元記者を相手にした定例会見で、2011年2月に会社更生法適用を申請した岡山市の名門バイオ企業「林原」の不正経理問題への“捜査方針”をあっさりこう言ってのけた。

地元記者たちは、特別背任容疑で逮捕された大王製紙の御曹司、井川意高容疑者に続く“創業家犯罪”第2弾として、林原健前社長ら逮捕の「Xデー」に照準を合わせていた。それだけに、次席検事のこの赤裸々な物言いに唖然としたという。

しかし、この発言で地方の「バイオの雄」とその一族が巣食う伏魔殿に司直のメスが入ることなく、事実上、幕が下りてしまったのである。

11年7月、内閣情報調査室にも勤務した財務官僚が本部長になって話題を呼んだ岡山県警も、事件化の可否を慎重に検討した結果、今秋“立件”を見送ったという。

後遺症で大阪の特捜動けず

それにしても、事件臭が強かった不正経理問題は、なぜ立件が見送られることになったのか。

旧経営陣の責任追及などのために設置された林原の外部調査委員会の報告書は、前経営陣の中核だった林原兄弟の犯罪性にしっかりと言及し、事件化への“前のめり姿勢”がにじみ出ていた。

創業一族の資金管理会社への資金流出については、健前社長と弟の靖前専務が主導したと認め、過去10年間で健氏に支払われた金額のうち、約3億円は使途不明だったとも指摘した。そして、資金流出については健、靖両氏に特別背任罪が成立する可能性があるとしているのだ。

不適切な会計処理については1984年から始まり、89年から2009年までの期間では、典型的な粉飾手口である売掛金の水増しなどで林原など中核4社の利益を438億円分引き上げたと、病根の深さを指摘している。

特に、林原は09年まで、債務超過状態で配当可能利益がないのに、株主である創業家メンバーに毎期1千万円の配当を出し、計13億円の役員賞与も支給し、背任性の高さを強調。財務を仕切っていた靖氏を中心に違法配当罪と特別背任罪がそれぞれ成立する可能性があると、しっかり報告書に書いているのである。

ここまで“お膳立て”してあるというのに、なぜ岡山地検は事件をつくろうとしないのか。

確かに立件は簡単ではない。「林原のケースは大半が時効のうえ、私的流用や犯意の認定が難しい」(捜査関係者)といった見方もある。

井川容疑者のような放蕩三昧は健氏には見あたらない。「研究一筋で、俗に言う『飲む、打つ、買う』といった道楽に興味がなく、趣味といえば自宅近くの道場で空手を教えるぐらい」と林原関係者は話す。

逆に研究や不動産投資には湯水のように投資するが、少しでも私的に使った疑いがあれば厳罰に処す会社だった。「営業担当幹部が接待で交際費を多めに使い、すぐ左遷されたことがある」(林原OB)と妙に厳しいコンプライアンス(法令順守)体制も敷いている。

四半世紀にわたる粉飾決算とグループ間の複雑な資金移動の全容解明は、規模が小さい岡山地検には荷が重すぎるとも言える。本格的に着手するなら大阪地検特捜部あたりの出番がふさわしいところだが、検事の証拠ねつ造事件の後遺症でそれどころではない。

経済事件全体で、立証のハードルも高くなっている。特別背任罪は取締役など特定の地位にある者が自分の利益などのために会社に損害を与える犯罪だが、取締役たちの常套句は「会社のため」。この言い訳を突き崩し、犯行動機が「自己保身」「私利私欲」などにあったことを立証するまでが厄介なのだ。

近頃の判決でも捜査当局の「敗北」が相次いでいる。10年5月には中国での遺棄化学兵器処理事業をめぐり、不要な支出で「パシフィック コンサルタンツ インターナショナル」(PCI)に損害を与えたとして特別背任罪に問われた持ち株会社の元社長の無罪が確定した。

また、11年11月には東京地裁で東証2部上場の「東理ホールディングス」の増資をめぐり、架空のコンサルタント料名目で約24億円を流出させたとして特別背任罪に問われていた元会長に無罪判決が言い渡されたばかりだ。

特別背任罪が難しいなら、違法配当罪はどうか。こちらは粉飾決算で利益が出ているようにみせかけて配当した場合に適用される。「林原の配当は違法配当の典型」(捜査関係者)との声があるように、時効にかからない数千万円を事件化できないことはない。

大阪府警でも10月、近鉄の完全子会社だった広告代理店「メディアート」(大阪市、解散)を舞台とした粉飾決算事件で、剰余金がないのに配当を行ったとして、元社長を逮捕している。しかも、逮捕容疑は1期分の1千万円だけだった。 

経済事件に詳しい警察OBは、「金額が小さいというのなら、特別背任との合わせ技で組み立てることもできるはず」と口にする。

高かった債権者への弁済率

昨年11月に林原の長年にわたる不正経理が発覚してから1年。スポンサーには200社以上が名乗りを上げるなか、化学品専門の老舗商社「長瀬産業」(大阪市)に決まり、11年度内に林原を100%子会社化する。

11月18日には林原などグループ4社の管財人が東京地裁に更生計画案を提出したが、関係者を驚かせたのは債権者への弁済率の高さだった。92%以上を条件としていたのだ。

「1割に満たないのが通常なので、この数字は破格としか言いようがない。ここまでやれば債権者の処罰感情も薄まるのでは」と地元関係者も舌を巻いた。スポンサーからの700億円に加え、駅前の不動産や保有株の売却などでここまで原資を確保したが、管財人の松嶋英機弁護士のやり手ぶりもささやかれている。

山一証券の破産管財人を務めるなど、倒産・事業再生分野では大物弁護士として知られる。「旧経営陣の刑事告訴を臭わせる一方、不動産を一気に売り払って再生に道筋をつける。なかなかのやり手ですな」。林原グループと取引があった岡山市内の業者は苦笑いを浮かべた。

創業家一族による企業統治が問題視されるなか、突如飛び出した捜査当局の“閉幕宣言”と破格の弁済率。甘味料「トレハロース」の開発で知られる名門企業の一騒動の内幕は何とも不可解だ。明らかなのは捜査当局の“大甘ぶり”で、私物化にいそしむ全国の創業家一族たちは密かに微笑んでいるだろうが。

   

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