あの熊谷GMO会長が骨肉の遺産争い

2010年12月号 DEEP

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レンタルサーバー事業などを手がけるGMOインターネットが復調している。3年前には、消費者ローン事業の投資拡大が裏目に出て大赤字。創業者の熊谷正寿会長兼社長が保有不動産を現物出資し、債務超過を辛うじて回避した。それがここにきて元子会社のクリック証券を買い戻すなど積極姿勢に転換。だが、一方で熊谷氏の周辺では骨肉の争いが勃発しており、穏やかではない。

熊谷正寿氏とほかの兄弟2人(康一、誠の各氏)との間で遺産争いが起きたのは一昨年のことである。父親の新氏がその年5月に89歳で死去、12月になって公正証書遺言が開封されたところ、正寿氏にとっては不本意な内容だったようだ。

新氏は1957年に「熊谷興業」を設立、東京・神楽坂を地盤にパチンコ店やディスコ、映画館などを経営した。実は新氏が40代でもうけた3人の息子の母親はすべて異なる。新氏は66~71年、まだ幼かった3人を認知、生年月日の順に養子縁組し、籍に入れている。長男・康一、二男・正寿、三男・誠の各氏は成人すると、熊谷興業に入社した。國學院高校を中退した正寿氏が入社したのは81年のことである。

正寿氏は社長室長を務めたが、経営方針をめぐり父子の間で衝突が起きた。90年に退社すると、正寿氏はテレマーケティングや自己啓発CDの製作といった事業を興す。そして、90年代半ばに始めたインターネット関連事業が大当たり。99年にインターキュー(現GMOインターネット)をジャスダックに上場させるという成功を収めた。

この間、正寿氏が抜けた熊谷興業では康一、誠の両氏が父親の新氏を支えた。ひと頃は業績が厳しい局面もあったが、その後に持ち直したようだ。現在は誠氏が代表取締役、康一氏が監査役を務めている。

さて、兄弟間の争いに発展した新氏の遺産はどんな中身だったのか。目録によれば、熊谷興業株26%、上場株式3銘柄、新宿区内のマンション、それに3千万円余りの現金が、そのほぼすべてだ。遺言ではこのうち正寿氏の相続分は現金3千万円とされていた。遺言の中身もさることながら、正寿氏が不満を感じたのは、新氏が生前に熊谷興業株の約74%を、康一、誠両氏に売却していた点だ。97年、新氏は康一、誠両氏に対して33%ずつを各450万円で売却。買い取り資金は熊谷興業から年利3%で貸し付け、返済は給料天引きの30回払いとした。2001年には7%を誠氏に追加で売却している。

正寿氏は生前に売却された熊谷興業株は実質贈与にあたり、それを加味すれば、新氏の遺産は50億円になると主張。うち8億円相当を相続する権利があるとした。この間の康一、誠両氏との話し合いは決裂。今年8月、正寿氏は熊谷興業株17%の引き渡しを求めて提訴した。

裁判の行方はわからないが、客観的に眺めると、正寿氏は少し取り乱している感がある。同氏が家業を捨てたのは動かしがたい事実。新氏が康一、誠両氏を後継者と定め、熊谷興業株を託したのも頷ける。97年当時、同社は債務超過にあり、売却額が不当に安かったわけでもなさそうだ。その頃、GMOインターネットは日の出の勢い。それが苦しくなり、正寿氏が改めて家業の資産に未練を覚えたようにも映る。

今年10月、GMOインターネットは3年前の現物出資で抱えた六本木の賃貸ビルを、「熊谷正寿事務所」に約27億円で売り戻した。資金の流れは異なるというが、同時に実行したのが3年前に48億円で正寿氏に売却していたクリック証券株の買い戻しである。金額は約53億円だった。オーナーと会社の間をカネがぐるっと一回りした格好だ。

正寿氏が経営危機を私財提供で凌いだ件は、取引銀行も高く評価している。ただ、そうしたことは同時に創業者依存の危うさを孕む。だからこそ、今回の遺産争いも単なる個人的ゴシップでは片づけられない。

   

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