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白川日銀は「デフレ誘導」

政策“ミス”はこれで三度。世界最悪のGDPギャップを埋めようともしない。実は意図的な「物価下落」。

2010年1月号 [日本経済の貧乏神]

鳩山首相との会談を終え、記者に囲まれる白川方明日銀総裁(12月2日)

AP Images

「なんで金曜に来なかったんですか」。12月8日朝、首相官邸で開かれた基本政策閣僚委員会は、のっけから険悪な空気に包まれた。菅直人・副総理兼国家戦略担当相が、前週の4日に委員会を欠席した亀井静香・金融担当兼郵政改革担当相を批判、両者の間で激論というか、うらみつらみの言いあいが20分間も続いた。

同委員会後の閣議で7兆2千億円規模の第2次補正予算が決まった。内訳は雇用6千億円、環境8千億円、景気1兆7千億円、生活安心確保8千億円、地方支援5千億円、それに交付税の減少額の補填が3兆円。これを国内総生産(GDP)増分ベースでみれば4兆円程度である。

12月1日に日銀が金融緩和強化(これが本当の緩和策なのかどうか疑わしいがそれは後述する)を決めているので、これで景気対策はおしまいである。4兆円の財政支出で中身が重要だという人もいるが、ジョン・M・ケインズ卿の「穴を掘って再び埋め直してもいい」という言い方をしないまでも、景気対策としては金額のほうが重要だ。

OECD事務総長が警告

翌9日、09年7~9月期GDPの2次速報が発表され、年率換算で4.8%から1.3%に大幅に下方修正された。その理由は企業の設備投資の動きが想定より弱かったことだ。設備投資は2.8%減で、1次速報の1.6%増からマイナスに修正され、08年4~6月期から6四半期連続の減少となった。デフレで収益が悪化するなど景気の先行き不透明さが増し、さらに、実質金利(=名目金利マイナス予想インフレ率)が高くなり、企業が工場建設などの投資を控えていることが鮮明になった。

問題はデフレであるが、ここに絞って最近の出来事を振り返ろう。

11月20日、政府月例経済報告のなかで「物価の動向を総合してみると、緩やかなデフレ状況にある」という文章が新たに入り、政府として06年6月以来3年5カ月ぶりに「デフレ」認識を公式に示した。一般にはかなり唐突感があったが、18日に経済協力開発機構(OECD)のアンヘル・グリア事務総長が菅副総理に会って、「日銀はデフレと闘え」と発破をかけたから、そこでにわかに危機意識を高めたのではないか。

本誌(10月20日発売の11月号の「日銀確信犯の『鳩山デフレ』」参照)以外に10月に現状をはっきりデフレと指摘したメディアはほとんどなかった。日銀にもその危機感はなく、現に10月30日、白川方明総裁はデフレ宣言とは正反対の逆噴射をふかしている。この日の政策決定会合で、企業金融支援特別オペを10年3月末に完了、企業の資金調達手段であるCP(コマーシャルペーパー)や社債の買い取りは12月末で完了すると決めた。リーマン・ショックから1年余を経て、一日も早く緊急措置の「出口」を探ろうとしたのである。

同日公表された日銀の「経済・物価情勢の展望」(展望レポート)では、3年連続物価上昇率がマイナスになるとの見通しを立てているが、白川総裁は記者会見で「デフレという言葉で呼ぶかどうかは、論ずる人の定義如何によりますから、その問題にここでは入るつもりはありません」ととぼけている。記者もバカにされたものだ。デフレは「物価が2年連続して下がる」というのが国際社会の常識。デフレの定義をうんぬんする人は、例外なくデフレがわかっていない容認論者がほとんどなのだ。

3週間後に政府がデフレ宣言するとは夢にも思っていなかったことがよくわかる総裁会見だった。政策決定会合に出席した野田佳彦財務副大臣ら政府側も間抜けで、日銀のこれらの措置に「待った」(議決延期請求)もかけずに見過ごした。

11月初めの段階で、政府・日銀にはデフレという認識がなかったのだ。ようやく政府が11月20日にデフレ宣言したのに、同日開かれた日銀の政策決定会合では何も金融緩和策は出なかった。政府と日銀の間で明らかに齟齬が生じている。

政権交代で難問続出の民主党は、マクロ経済分野では国家戦略室(局)が機能不全に陥り、菅副総理も棚ボタで次期総理の座を狙っているから動かない。政府と日銀は言葉の上では「連絡を密にしている」というが、驚くことに鳩山由紀夫総理と白川総裁は政権交代以後ほとんど会っていない。自公連立政権では経済財政諮問会議があったので、少なくとも2週間に1回以上、総理と総裁は会っていたし、ほかにも頻繁に顔をあわせる機会があった。

そこで泥ナワ式に総理と総裁の会談が12月2日にセットされ、日銀はその前日に臨時政策決定会合を開くことを決めた。実は首相官邸で行われた総理と総裁の会談に、亀井金融相を入れるかどうかで揉めていたようだ。日銀は当然、金融政策に不満を隠さない亀井金融相が入ることを拒否したが、日銀出身の大塚耕平・内閣府副大臣を絡めると亀井金融相が出てきかねない、という奇妙な舞台裏だったようだ。日銀は総理との会談後に金融政策を変更するのは圧力に屈したかに見えるため何としても避けたかったので、決定会合を先にしてメンツを保った格好だ。

新型オペで逆噴射修正

臨時会合で決めたのは「政策金利の0.1%で期間3カ月の資金を10兆円程度供給する。担保は国債、社債、CPなどすべての適格担保を対象とする」というもの。白川総裁の言葉では「広い意味での量的緩和」というが、その表現はミスリードだろう。新型オペの実態は、日銀が10月末の逆噴射――CP・社債の買い取り中止や企業金支援特別オペ打ち切りを復活させた程度である。

市場は1週間ほど円安にふれ、日経平均株価は1万円台を回復して一服ついたかのようにみえるが、日本のデフレ状態は変わらず、潜在的には円高傾向である。購買力平価説では、ビッグマック指数(マクドナルドのハンバーガーが米国で1ドル、日本で100円なら1ドル=100円)でわかるように、長期的にはデフレになると通貨高になるからだ。物価がマイナスだと実質金利も高くなるので、通貨高が実現しやすくなるのだ。日本の実体経済がよくない以上、株価も安心できない。

いったい、日本のマクロ経済はどうなっているのか。内閣府によれば、09年7~9月期のGDP上昇を織り込んでも、日本経済にはGDPの約7%、35兆円にのぼる大きなGDPギャップ(総需要と総供給の落差)がある。このようなGDPギャップがあると、経済は高い失業率とデフレに悩まされることになる。

GDPギャップと失業率の関係は、オーカンの法則(Okun's Law)として知られている。日本の場合、35兆円のGDPギャップは失業率を2~3%程度、失業者を130万~200万人程度増やしている。労働者を正規雇用と非正規雇用に分けると、非正規雇用のほうが大きな打撃を受ける。また新規雇用で採用中止になるなど、労働者間の格差を大きくする。アルバイトの採用停止や就業時間制限、高校・大学新卒者の就職内定率の低下といった形で、これは一部の地域で顕在化しつつある。

デフレは「モノの値段が下がる」と喜ぶ人がいるが、自分の給料が横ばいか昇給すると思っているからだ。しかしデフレになると、確かにモノの値段が下がるのだが、多くのモノの値段が下がれば多くの人の給料も下がることになる。デフレがいいとの話は「相対価格」と「一般価格水準」を混同しているのだ。

デフレとは「一般物価水準」の低下であり、01年の経済財政白書が言うとおり経済に悪影響を及ぼす。失業を減らしデフレから脱却するために一刻も早くGDPギャップをなくすような政府・日銀によるマクロ経済政策(財政・金融政策)が必要だ。

ちなみにグリア事務総長が持参してきたOECD経済見通しでは、日本のGDPギャップは先進国のなかでは最悪の部類に属している。筆者がこれらのリポートを参考にしながら、今般の経済危機で生じたGDPギャップを財政・金融政策で各国がどう埋めようと対応してきたかを試算してみた(図Ⅰ参照)。

例えば米国はリーマン危機後、GDPギャップが10%を超えていたが、まずGDPの5%程度の財政出動によって09年でギャップが5%程度に縮まって日本より改善した。さらに中央銀行にあたる連邦準備理事会(FRB)が「信用緩和策」――民間の社債、CPなどをFRBが買い取るなど、日銀が01年3月から06年6月まで続けた量的緩和をさらに強化した非伝統的な金融政策に踏み切った。これによりGDPギャップは将来にわたって8%程度改善する効果がある。したがって米国の財政・金融政策は、大きなGDPギャップを完全に穴埋めできるような規模で行われたといえる。欧州諸国も同様に、財政政策と金融政策の両輪で金融危機がもたらしたGDPギャップをほぼ埋めるように行われている。

GDPギャップを放置

日本はどうか。麻生自民党政権の時代に、国際的には「財政支出はGDP2%程度だ」と言って補正予算を通じ14兆円の景気対策を行った。しかし金融政策は実質的にはほとんど出動しなかった。その結果、今でもGDPギャップは世界最悪の大きな開きをみせている。金融政策がほとんど行われていないのが日本の特徴である。それは、各国中央銀行のバランスシートの拡大ぶりをみても、日本だけ見劣りしていることでわかる(図Ⅱ参照)。仮に今回の第2次補正を加えても財政政策ではGDP1%程度であり、まだまだGDPギャップを埋めるには至らない。

日本のデフレは世界から見ても異常な事態だ。ちなみにOECD経済見通しで、30カ国のうち09年の物価上昇率がマイナスの国は日本を含め8カ国あるが、2年続けてマイナスは日本、アイルランドの2カ国だけだ。実は日本は3年連続マイナスで、こんな国はほかにない。

今回は日銀が政策誘導のタイミングでチョンボを犯したことが明らかだが、日銀は昨年もミスしている。

08年10月8日、リーマン危機後に米欧の銀行間市場が凍りつき、連鎖リスクが高まったため、世界同時利下げが行われた。利下げを発表・実施したのは欧米6中銀のほか、中国、アラブ首長国連邦(UAE)、香港、クウェートの計10カ国・地域。日本の名はない。その前日の7日、日銀は政策決定会合で金利据え置きを決めていたのだ。

8日当日、日銀は利下げではなく「支持」を表明した。あるテレビ局は「支持」を「支援」と報道して慌てて訂正した。それほど日銀の利下げ不参加は、微妙かつ奇異な出来事だった。マスコミからも「日本の不参加で市場には主要7カ国(G7)の足並みの乱れを指摘する声が出る可能性もある」といわれた。

すでに低金利だったので利下げの余地が乏しかったという日銀を擁護する意見もあるが、ゼロ金利下でも量的緩和によって実質金利でマイナス金利にできることは、日銀自身にすでに実績がある。日本だけが金融緩和しないため相対的に日本の金利は割高になり、円高圧力がかかって円が急騰、優良株といわれる輸出関連株が下がって怨嗟の声があがった。日銀が重い腰をあげて政策金利を0.2%下げたのは10月30日、それでも足りず12月19日に0.2%下げて現行の0.1%にしたのだ。

速水優総裁時代のゼロ金利と量的緩和政策に反対したのが当時理事だった今の白川総裁と山口泰副総裁である。利下げも渋々だが、非伝統的な緩和も米欧に比べ日銀が消極的だったのは明らかである。

実は日本の景気が悪いのは、サブプライム危機の余波というより、06~07年の金融引き締めが原因なのだ。06年3月、福井俊彦総裁のもとで量的緩和政策を解除し、同年7月、07年2月、政策金利をそれぞれ0.25%ずつ引き上げた。定量分析をしても、06年中ごろから予兆がみえ、07年に確実になった景気下降をよく説明できた。サブプライムで直撃弾を受けていない日本の景気が不振を脱することができないのは、日銀の政策ミスによるところが大きい。

06年からの金融引き締めの担当者は現総裁の白川筆頭理事である。彼は06~07年、08年、09年と連続して三度のミスを犯しているのだが、会見では薄笑いを浮かべて恥じる様子もない。ただ、ここまで繰り返すのは、単なるミスではなく、確信犯であると思えてならない。

「デフレ・ターゲティング」?

先述した本誌11月号の記事にあるように、世界標準の消費者物価指数(除くエネルギー・食品)でみると、日銀は00年以降、「マイナス1~0%」の幅に見事に物価をコントロールしている。これは単なる偶然ではありえない。実際、日銀の金融政策変更をみれば、ひどいデフレ(マイナス1%以下)にならないよう、しかもデフレから脱却(0%以上)しないよう、完璧にコントロールしているとしか見えない(図Ⅲ参照)。

日銀は、世界の先進国で標準的になっているインフレ目標について、「実施できる手段がないと信頼を損なう」として反対してきたが、00年以降の結果だけをみると、とんでもない。皮肉をこめて言えば、世界でもっとも物価管理能力のある中央銀行なのだ。ただし、その目標ゾーンが狂っている。「マイナス1~0%」ではなく「1~2%」と、2%ポイントほど上に設定すべきなのだ。

日銀から金融ネタをもらう“御用聞き”マスコミや、研究助成を受ける“御用”経済学者のなかに「本石町応援団」が多い。彼らは日銀の顔色を読んで「量的緩和をしても効果がなかった」と口をそろえる。顕著な効果がなかったのは、物価を生かさず殺さず「デフレ・ターゲティング」に押し込めてきたからだ。

筆者は10月の消費者物価指数(除くエネルギー・食品)がマイナス1.1%と判明し、「マイナス1~0%」の目標ゾーンから下振れしたときから、日銀は何かやると思っていた。ゾーンを上か下に外れたら動くのが、これまでの日銀の行動パターンだからだ。しかしデフレ脱却まではやらない。

デフレ脱却のためには、GDPギャップを埋めればよく、長期国債買い入れで量的緩和を30兆円以上、または同じことだが財政法第5条但し書きに基づく日銀引き受け30兆円を行えばいい。「デフレの闘士」どころか「デフレ愛好」の白川日銀にそれは望むべくもない。