靖国が祀らぬ「幕末殉難者」の悲劇

水戸天狗党と対決した諸生党殉難者は、逆賊の汚名を着せられ一切合祀されない……。

2009年8月号 LIFE

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靖国神社に祀られた幕末期の「英霊」(祭神)の3割以上は、旧水戸藩出身者だ。なぜ、水戸藩なのか。死者を峻別する靖国成立期の英霊の“正体”とは――。水戸藩出身の殉難者が靖国神社に初めて合祀されたのは、1889(明治22)年5月だった。明治維新から21年。大日本帝国憲法発布(同年2月11日)で国中が祝賀ムードに沸き返ったこの年、12年前の西南戦争で朝敵となった国民的ヒーロー、西郷隆盛の恩赦を大々的に伝える新聞記事に熱狂する帝国臣民はいても、水戸藩関係者の靖国合祀のベタ記事に気づく者は少なかっただろう。内容もしごく簡単だ。「かの桜田事件(『桜田門外の変』)の金子孫二郎、高橋多一郎、佐野竹之助以下合わせて千三百三十名(注・千三百九十名の誤り)……いよいよ靖国神社へ合祀せらるる旨告示せり」(東京朝日新聞、同年5月3日号)水戸藩出身者の合祀は、その後も1929(昭和4)年まで3 ………

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