福田官邸の「不思議な父子鷹」
跡取り息子で首相秘書官の「康夫評」が興味深い。曰く「彼の心の奥は僕にも読みきれない……」
2008年4月号
達夫の長身は、母・貴代子の実家である「桜内の家系」によるものらしい。貴代子は元衆院議長・桜内義雄(故人)の姪で、衆院議員・太田誠一のいとこに当たる。達夫は慶応大卒業後、米ワシントンDCの有力研究機関であるジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)に留学。帰国後、三菱商事に入社。11年にわたるサラリーマン生活を経て、04年に官房長官となった康夫の「指示」により議員会館にある福田事務所の私設秘書となり、昨年の政権発足に伴い官邸入りした。17年間のサラリーマン生活を経て、父・赳夫の首相秘書官に転じた康夫の歩いた道をほぼ踏襲している。
跡取りゆえの苦悩が滲む
30年前に赳夫の首相秘書官となった康夫をよく知るベテラン記者は、当時をこう振り返る。
「康夫さんは福田邸に戻ってくると、新聞記者を相手に政治の話より、哲学めいた話を延々としていたな。不思議な雰囲気だった」
当時、達夫はまだ小学生だったが、祖父の秘書官を務める父の姿をどう眺めていたのか。福田家の跡取りゆえ、早くから観察と分析の対象であったとしてもおかしくない。達夫が開陳する康夫論は、時の政局論議より、よほど熱っぽい。曰く。「親父は『独善的』と見られがちだが、意外に人の言うことをよく聞いている」「人付き合いは下手だけど、実は心の芯はかなり温かい」
達夫にしてみれば、康夫の長所、持ち味が、世の中にうまく伝わらないのが悔しくてならないようだ。
たとえば1月15日夕の首相官邸大ホールでの出来事だ。薬害C型肝炎訴訟で国との和解基本合意書に調印した原告ら約100人と面談した福田は、原告らに「行政は皆さんの思いに立っていなかった。代表としてお詫び申し上げたい」と謝罪した。ところが、福田と原告団が心底打ち解けた場面があったのに、それは記者やカメラマンが会場から締め出された後だった。
達夫は「なぜ、カメラがいなくなってからなのか」と臍をかみ、「もっとメディアを意識すべきだ」と康夫に進言したという。が、その思いがどこまで康夫の耳に届いたのか、今なお確信をもてない様子だ。
小泉純一郎時代の政務担当首相秘書官・飯島勲は小泉の意向をすべて汲み取ったうえで、自ら築き上げた霞が関人脈をフル稼働させ、5年5カ月の長期政権へと導いた。一方、安倍晋三政権では首相秘書官・井上義行を筆頭に、官房長官・塩崎恭久、広報担当の首相補佐官・世耕弘成ら側近がバラバラに動いて方向を見失い「官邸崩壊」を招いた。
そして今、政権発足から半年がすぎた福田内閣は年金記録漏れ問題を皮切りに、ギョーザ中毒事件、暫定税率の延長問題、イージス艦衝突事故などに遭遇している。支持率が3割前後で低迷しているのは新たな事態への反射神経の鈍さが響いている。
しかし、政界筋で囁かれる「戦略なき官邸」との評は必ずしも当たっていない。すべての戦略は康夫脳の複雑回路に凝縮されているのだから、唯一の解読者である達夫が心理的プレッシャーを抱くのも無理はない。
「彼の心の奥は僕にも読みきれない部分がたくさんある。特に感情が動いているときほど、それを抑えようとするから……」
達夫の肉声には「総理・康夫」とDNAを共有する跡取り息子の苦悩が滲んでいる。(敬称略)
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